20171031
池袋芸術劇場2階プレイハウス
「リチャード三世」見てきました。
席は一階の最後列中央。
映画と演劇好きの高校の先輩から連日のように薦められて行ってきました。
去年「抜け穴の会議室」のDVDを見てから佐々木蔵之介の舞台に興味があって。googleドキュメントで感想の文書作って先輩に送ったので、それを元に記事にしてます。
開幕、軽快な音楽の中で身体コンプレックスを自虐するリチャードとそれを笑う周囲にかなり驚いた。シェイクスピアの古典だからできることなのか、創作ならば許される表現かを考えてしまった時点で政治的正しさに毒されている。
と先輩に言ったところ、このシーン戯曲では独白だったとか。演出の力。
正直なところ、わりと筋と人物関係を追うのに精一杯だった。結構みんな同じに見える!同じ名前の人もいたし。休憩時間に人物相関図を見直してもやっぱり理解しきれず。
溺死させる場面が事故が起きそうで怖かった。昔見た、プールで頭を押し付けられる悪夢を思い出したり。桶?に顔を押し付けられたあと水がはねてたしけっこう入ってたはず。あの役は受けたくない…
役者経験があるわけではないけど。
全体的に呪い、言霊の力が強かったことが印象的だった。呪いは当時それほどポピュラーなものだったのか。
キャストがほぼ男なの逆宝塚って感じ。と思ったけどよく考えたら歌舞伎があった。でも雰囲気としては宝塚寄りかもしれない。
隣の席だった女性がメモ取りながら見ててそれも印象に残った。暗いのに。アイドルのコンサートとか、MCメモってる人がいるって聞いたことがあるけど。
その人キスシーンのたびにふふって笑ってたな。
玉座にかかったビニールにもぐりこむシーン。
事前にナタリーか何かの記事でプレ公演での写真を見たときは玉座にかかってるのは布だと思ってたので、音がビニールで動揺した。
新車のシートじゃないんだから、と思考が他所に行ってしまった。
ビニールなのはリチャードにとっての王位の薄っぺらさの象徴だろうか、と先輩に送ったら「私は羊膜に思えた」と。そう聞くとビニールを腰に巻いているリチャードが卵の殻から出られないひよこのように見えてくる。🐣
生まれや身体コンプレックスというさまざまな不運によって、というと軽すぎるけどいわゆる愛され愛すことで精神的に成長することが叶わなかったという点で。
粗野な食事シーン、食べ方の乱暴さに加えて食べていたものもかなり質素だったのは王らしからぬ生活(実態が伴わない王)の表れ?
前の席か、双眼鏡を使ったらよく見えたかもしれない。きちんと見たかったシーンのひとつ。
自分の殺した相手に責められる幻覚は伊坂幸太郎『グラスホッパー』の蝉を思い出す。あれは仕事で殺してきた知らない人間だったけど、もともと縁の深かった相手であればさらに強烈だろうな。
ツイッターで、「ミュージカルシーンで子役ちゃんの歌が聞こえないのは、理不尽に殺されたもののリアルな叫びのよう」といった感想があったことが印象的。
例のミュージカルシーン
— ポンず。 (@ponsdesu) 2017年10月29日
やっぱり子役ちゃんの歌詞が
ほぼ何を言ってるか分からない。逆にその不明瞭さが
殺された側のリアルな叫びにも聞こえてプラスに働いてる感じが。
四季の子役ちゃんとは対極的だけど、役割が違うと考えるのが良いのかな。#リチャード三世
ラストシーンでは、信念で悪を貫いても結局は孤独と罪悪感に苛まれてしまうものか、と少し虚しくなった。
中国の宦官って去勢して結婚しないかわりに権力争いに人生賭けるんだよね…とも連想した。なんども気が散ってるのがよくわかる。
ちらしにあった1月の蒼井優と生瀬勝久W主演の舞台にも惹かれました。年明けどうにか時間を作って行きたいです。