前回からひと月あけて、シラカン「坦々とおこり」を見てきました。
初日の感想もどうぞ。話の内容なんかはこちらに詳しいです。
前の感想で役名がわからなかったことについてかなり尺を使ったのですが、今回はこの紙が入っていました。やっぱり名前「あげみちゃん」だったんだなぁ。
初日からこの紙があったのを見落としていたなら相当申し訳ない。。
「悲しみニスタ西条」やっぱり強いなあ、舞城王太郎作品あたりに出てきそう。
会場
東京公演・王子北とぴあ(ほくとぴあって読むんですね、きたとぴあだと思ってた)と神奈川公演での横浜STの比較。
横浜は会場が小さくて明るかった!全体的に薄暗かった東京公演と比べて、衣装の色がよく分かりました。特に序盤のシーンは緑・青・赤・黄・紫ときれいに分かれてて戦隊ヒーローみたいだった。
あと終盤の食品工場見学、どうやるんだろう〜と思ってたら歩いてる場面が見えないようにしていてハッとしました。でも距離が短いから、台詞を言うのが大変そうな印象も受けた。東京基準の尺で台詞書いたのかな…とか。
演出
会場の差とはまた違う場面で、演出が大きく変わっていた!前作の公演は2日間だったので、初日からひと月を経て工夫があったんだな〜としみじみ。
筋は分かっているから細部に集中して見られる!と思っていたけど、山場のシーンいくつかがかなり変化していてすっかり圧倒されてしまった。おそらく変わってないとこでさえ前もこうだったっけな、と気になってしまったり。
派手なところではないけど(企業の謝罪会見のような悲しみ〜の時の)「ポーズじゃん」って台詞が「形だけじゃん」に変わってたのを覚えてます。役者さんがそれを言っていたときの表情が好きだったので。
アフタートーク
前作のアフタートークで「花粉症なったことないからわかんないんだよね…腰痛の話なら共感できたかもしれないけど…」って言ってた松田さん、今作はどう見るか気になりすぎて選んだ日です。
最初お互い探り合いのような空気があったけど、いろいろと意味の深いことを聞けました。行ってよかった。
そのとき、弔うべきおじいさんの死は、個別的なものから特異性へ、単なる感情の共有(そんな家族的な一般的感情を表出する葬儀に姉は出なかった)から解釈されるべきおじいさんそのものへと変容してゆく。
— matsudamasataka (@matsudama22) 2018年4月8日
「抽象から個体化へ」についてはリモコンや帽子、煙草の箱のような個人の思い出と結びつかない抽象的なものを繋ぎ合わせることで個人が浮かび上がる、という話。
ツイッターのプロフィールで単語をスラッシュで区切って並べるようなものか…。(世俗的な理解しかできない)
西さんいわく、演出の変化は演劇文化の馴染んでない名古屋での上演を経て分かりやすくなった、とのことでした。西さん主導だったのか役者さんの発案もあったのか、どっちだろう。個人的には今回の方が好きでした。
私のイメージしていた「シラカンらしさ」は、初日とこのあいだ見たの中間にあったような気がします。グラデーションのように変わっていったのかなあ、と思うと名古屋公演がどんなだったかも気になってきた。
最後に。
席との距離が近いから役者さんたちの顔がよく見えました。でも、おじいちゃんの宿っていた?ものが何なのかわりと中盤までわからなかった。そういう!って。
シラカン「坦々とおこり」感想、天国とおでん - 千夜一夜
これ、「宿っていたもの」は最初のシーンとそれ以降で使っているもので少し変えているそうです。序盤では正体が分からないのが正しかった、ということが一番の衝撃でした。
最初に疑問だったことがたくさん解決したし、舞台はほんとに気になったら複数行くと楽しい〜!という気づきを得られました。
シラカン「坦々とおこり」続いています
— 西 岳 (@k3k3kblue) 2018年4月11日
感覚の差異を埋め合わせていけるかどうかを日々考えます
そんな必要はないのかと思ったりもしますが、そのズレをどうにかしようとしています
共感とはなにか、話したいです
STスポットで15日まで是非目撃してください
終演まで数日、応援しております。