千夜一夜

人生は短い、それはまるでたった1日のように

舞台「アンチゴーヌ」感想 不変の災厄


 1/27の新国立劇場小劇場で「アンチゴーヌ」昼公演を観てきました。

 

f:id:senyaitiya:20180131132726j:image

 

国立劇場新国立劇場が違うことに当日気づきました。新国立劇場は、新宿から京王新線で1分の初台駅が最寄りです。

改札から京王新線のホームまでかなり長い。階段を降りて降りて、京王線の入り口から8分くらい走りました。余裕持っていかないと間に合わない。

 

今回の「アンチゴーヌ 」は、古典「アンティゴネー」をフランス人戯曲家ジャン・アヌイが翻案したものの新訳が栗山民也によって演出されました。ややこしい。

このへんよく分かっていなくて、ギリシャにはない(と思われる)名詞の連続にちょっと混乱してしまった。アンチゴーヌが乳母にコーヒーを頼むシーンとか、コーヒーの歴史が気になってしまった。

コーヒーの初出について、『珈琲の世界史』(丹部幸博・講談社現代新書)を読んで調べてみました。コーヒーが今のように一般的に飲まれていたとわかっているのは、15世紀のイエメンからとのことです。 

また原典とジャン・アヌイ版との違いについて、論文「アヌイの「アンチゴーヌ 」における問題性」(竹部琳昌)で挙げられていたのは

  • 古代ギリシア的な生活描写と舞台装置の意図的な棄却
  • 詩句(韻文)から台詞(散文)へ

の二点でした。

https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/2816/j11602.pdf

 

小劇場でとても距離が近かった、という特色もあったけど内容について。特に後半から良くも悪くも「私は何を見せられているんだ」って思いが強かった!消化まで数日かかりました。

ここから内容に触れるので、その前に公式サイトよりあらすじ。

 アンチゴーヌ(蒼井優)は、反逆者として野ざらしにされていた兄の遺体に弔いの土をかけたことで、捕えられてしまう。
 王クレオン(生瀬勝久)は一人息子エモンの婚約者である彼女の命を助けるため、土をかけた事実をもみ消す代わりに、遺体を弔うことを止めさせようとする。
 だが、アンチゴーヌは、「誰のためでもなく、自分のために」と、法に背いても自分を貫こうとする。兄を弔うことを止めず、自分を死刑にするようクレオンに迫るアンチゴーヌだが……。クレオンは、国の秩序を守るため、苦渋の決断を下す。

公式でここまで言っちゃってる。どんでん返しなどない、はっきり結末のわかった上演です。劇中でもだめ押しのように「これは悲劇である」と繰り返されました。

 

正直、兄二人が埋葬するに値しない人間であったことを聞かされたアンチゴーヌが「部屋に戻るわ」と言った、それ以降はどこか茶番な気がしてしまった。
いくら兄のためではなく自分のためと言っても、兄の実情を知った時点で婚約者への愛が上回るかと思ったのだけど。家族愛の大義名分もなく完全に自分の信念のため、反抗のために周囲を巻き込む価値はあったのか、と考えてしまう。
彼女は二十歳だと明言されていたけど、現代の基準で考えるとそうしたまっすぐさは16歳くらいのものに感じられる。これについては、王女としての育ち方も影響があったのかもしれない。

エモンが「どうして彼女を殺すのか、お父さんは神様のようだったのに」と叫ぶ場面でも、実際二十歳すぎて父親を神聖視できていたのって相当に恵まれた稀有な環境だよね、と妙に冷静に思ったので。

納得のいかなかったところがもうひとつ。自ら極刑を望んだのに群衆に晒されたくない、執行には誰も入れないでと言った彼女に(その覚悟もなくてどうして刑を受けると言ったのか)と思ってしまった。それを受け入れるクレオンにも少し怒りを覚えたけれど、姪への愛か善人としての情なのか、責められない。


破滅的に死を望む彼女に既視感があると思ったら、永嶋恵美の小説『災厄』に出てくる高校生でした。題名が思い出せなかったので、「少年犯罪者を弁護する小説」と検索して見つけた。
妊娠5ヶ月の妻を持つ弁護士が、妊婦連続殺人の犯人である高校生を弁護を担当することになった話。自分は正しいと語って死刑を望み、最後の最後に死の重みと直面した高校生とアンチゴーヌが重なりました。

殺人犯と同じにしてしまうのはあんまりだとも思いつつ。

災厄 (講談社文庫)

災厄 (講談社文庫)

 

 

クレオンが小姓に「お前は、大人になりたいか」と問いかけて少年が「はい!陛下」とそれまでの無表情を放り出してはっきり答えた場面と、それに向けて「大人になんか、なるものじゃないよ」と絞り出すように言う王が、この劇の題材の象徴になっていたと思います。

アンチゴーヌは身勝手でした。でも悲劇として形作られて人が死ぬからこそはっきり突きつけられるのであって、信念のぶつかり合いや妥協して生きられない苦しみは実際この現代にも形を変えてあるのだと思います。私にはその形が掴めない。

 

なんだか熱くなりすぎちゃったので、最後に演者さんについて。

蒼井優さんは腕と脚が本当に細くて、華奢って言葉の体現のように見えました。あと劇中で髪が乱れていったのが印象的。まとめていた髪が最後におろされて、カーテンコールのお辞儀では床に届いていたくらい。

生瀬さんは、椅子の肘置きにかけた手が印象に残っています。指が長くて。劇の最初に「この体格の良い男は」と紹介されていて、そんなに?とはちょっと思いました。肩幅は広かったけど。二階席で俯瞰で見ていたので、席が違ったら演者さんへの印象も違ったかもしれない。

憧れの俳優さんを間近で見られたので、それだけでもお釣りがきたほど有り難いです。「推しが最高だった」って感じ。ふと気になって身長を調べていたら、検索結果がPCに思いっきり表示されているとき母に話しかけられて焦りました。

生瀬勝久さんの身長、178cmだそうです。

 

追記

映画「バーフバリ」で、アンチゴーヌに持った違和感の一端を見つけました。感想の最後に書いています。

www.senyaitiya.com